TAMO2ちんの日常
思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め
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初のIL単独チーム対プロ二軍 »
2006/8/17
「中核派を擁護してみたりする」
幻論
1975年の時点で、中核派と革マル派を「内ゲバ党派」と一括りにして批判した「内ゲバ批判」は果たして、正しかったのだろうか?
やはり、物事を判断するには因果を把握しなければなるまい。被害者と加害者を喧嘩両成敗的に扱うことは、被害者を二度傷つけることなのだ。
勿論、その後の中核派の堕落を知らないわけではないが、堕落させた原因の一つはこの時代の周囲の対応にもあったと思わざるを得ない。
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投稿者: tamo2
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投稿者:元祖趣味者
2006/9/1 0:31
>ここら辺はかなり難しいところですね
そう、難しい。しかし、イデオロギー(歴史の進歩)に準じるインテリとしては、「自分離れ」を考える時期にいるのではないだろうか。革命を100年単位で考えることができるならば、その場面で非暴力的抵抗の結果、日本軍に殺されても、その事実、およびその場面を共有化した人民が、時の流れをへて力強い集団になりうるとおもったら、自分の欲をすて、殴られて(矜持は有しているよ)、もしかして殺されても、おおきな地平を見据える意味で享受できる。
現前の成果をもとめることにとらわれると、おおきな流れを見誤ることになりはせぬか。短期的な結果をもとめる成果主義は、新左翼業界にこそ罹患していたのかもしれない。
投稿者:tamo2
2006/8/31 22:11
> 戦争反対を実現するには、軍隊調を以って反対するのではなく、なさけないほど非暴力で断固として力強く殴られながら徹底しないと
ここら辺はかなり難しいところですね。例えば、かつての中国の民衆になったつもりで考えると、実際に目の前で日本帝国主義の軍隊が侵略しているのを考えると、「非暴力で断固として云々」を言うこと自身が欺瞞だと思うのです。
レーニン尊師が言うように、これは、やっぱり大状況次第だと思うのですよね。
いきなりですが、小生は「逃亡権」を認めるところから始めないといけないと思うのです。
投稿者:元祖趣味者
2006/8/31 21:34
とはいえ、最近のデモでのマーチや、ノンヘルデモとか革共同両派の選択肢は、好きでそうしているのか、それとも迎合してやっているのか。
古来より、新左翼が平和志向・平和勢力というのはウソで、そもそもが軍隊が好きな連中なのである。手段としてのテロを否定しない。もしかしたら、ヒズボラとイスラエルの争闘についても、「戦争が嫌い」なのではなく、「戦争の使われ方が人民的でない、帝国主義的」だからイスラエルに抗議している、とさえ思える。
暴力革命を信奉する限り、一般的な戦争反対はナンセンスという考え方である。あっしも、かつて、そうだった。よい戦闘、悪い戦闘、帝国主義から守る自国を守る戦闘、そして戦時共産制....。
うーサン(鵜飼哲←クマノリョウだったよ)が光文社新書で書いているように、日本ではベ平連が唯一、軍隊調をきらった運動体だったけど、当時は、ベ平連に新左翼セクトが平和調に飽き足らないメンバーをオグルにいって、さらにいつしか、東京戦争、大阪戦争に向ってしまった、と。
戦争反対を実現するには、軍隊調を以って反対するのではなく、なさけないほど非暴力で断固として力強く殴られながら徹底しないと、軍隊とおなじになるだろうね。戦争反対を主張して、敵対セクトにテロを示唆するのは、欺瞞である。欺瞞では人は動かない。
投稿者:tamo2
2006/8/31 20:22
> 闘っていると、その争闘している競合と似た戦略・作風をとることがある。
思い出すのはニーチェですな。「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。」
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Nietzsche.htm
その深淵に嵌らないように、それは自分だけではなく、周りのものも含めて。おっしゃる「ディコンストラクション戦略」が立てられなければ、左翼の風化はますます進むんでしょうね。
投稿者:元祖趣味者
2006/8/29 23:35
闘っていると、その争闘している競合と似た戦略・作風をとることがある。天皇制と闘う共産党が宮本天皇制になり、ヤクザと警官が似るとか。機動隊と闘う中核派が軍隊になり、さらに、革マル派とテロ合戦をすすめると、おなじような非公然組織をもつようになった。そういう呪縛から逃げよといったのは、デリダでディコンストラクション戦略。場にとらわれないこと。そういえば、資本制と共産主義も双子の兄弟。なかなか、争闘する相手との地平での措定から、逸脱するのは困難。唯一、一坪共有化運動のときに、中核派から暴力を振るわれた、インターや、赤ヘル同学会は、非暴力で対応したけど、注目されなかったなあ。あの状況で、テロの恐怖から中核派の言質に流れるものは多かった。
実際に襲うのでなく、襲われると恐怖を抱かせること、それこそが、テロの本質的な効果である。
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