『大地の咆哮』(杉本信行著、PHP)
まずは逝去された著者のご冥福を祈る。つい近年まで外交官をやられていた著者が、ホットな課題を論じた勇気に敬意を表したい。ファナティックで狭隘な愛国心こそ、国を滅ぼすものだが、その前段階としては勇気ある言論が、暴力によって封じられる。残念ながら、今の日本にも同じことを感じざるを得ない。
さて、本書であるが、各章ごとに著者の回想と現在の課題を絡めて論じており、全一六章でほぼ著者の問題意識を網羅していると思う。結論めいたことは、巻末の付録にまとめられている。
一九七四年、語学研修のためはじめて中国を訪れた著者は、夜の北京の真っ暗闇に遭遇してこの国の遅れを実感し、昼間の黄色い風景から水のなさを実感する。そして、イデオロギーが何よりも優先する当時の中国の異常を感じ取る。現在、遅れはトウ小平らの方向付けでドンドン解決されるが、水不足はむしろ深刻化していて、また文革の狂気は十年世代を役立たず(お荷物)にしたさまが描かれる。そして、その時代、あらゆる行動が監視されていた様、それに国民が得も言えぬ抑圧を感じていたことも描き出す。共産主義国家は、ヘゲモニー(力)を国民に与えず、党と国家が独占するが、それがどういうことか、が描かれる。勿論今も、その名残はある。
一つ面白いことが描かれる。p50に。“政府が躍起になって、戦争で日本がどれだけ悪かったかという教育を一生懸命してみても、その片方で彼らは「だけど、共産党はもっとひどかった」と平気で語る。”文革を知る世代は、共産党を尊敬しないのは、小生の場合は中国プロジェクトに係っていたときに知ったことだ。
さて、そうではあっても社会主義の殻を堅持していたときは貧しいけど平等であった。今、解放改革で保障なしの市場の地獄に国民は投げ出されている。年金制度は崩壊寸前だ。
日中国交回復に到る中では、共産党保守派の反対があった。しかし、中ソ論争の後遺症の中、中国は日米と手を結ぶしかなかった。ソ連は中国を封じ込め、飢餓輸出を強要した過去がある。「社会主義」イデオロギーから観念論を振りまいていた当時の日本の左翼には想像できなかったであろう緊張感ある文章で事情が語られる。日中両指導部は大人の態度で、国内の反対を抑制し、国交回復を果たした。だから、今、安倍の発言が、どれほど政治的に日本にとって損失になることか!(大坂仰山党BBS参照のこと)
中国は借款や投資が必要であった。しかし、この国が社会主義に立ったとき、その対象はソ連であった。ロシアやソ連の無残さは、今さら言うまでもない。世界中で嫌われるのも故のないことではない。しかし、革命直後の中国はここしか頼れなかった。で、その結果が飢餓輸出である。そのことが中国のトラウマになる。しかし、中国の民生が安定し、ひいては政治が安定することは日本の国益に叶う。ぜひとも支えなければならない。その考えで援助をした。トウ小平は大局を見、胡耀邦は親日であり最初は上手く回転した。しかし、親日過ぎた胡耀邦は中曽根の靖国参拝で寝首を掻かれ、それも一つの理由で天安門で失脚した。醜い共産主義政治の犠牲者だ。その失脚を、胡耀邦に見出された胡錦濤が、靖国に敏感になるのも当然かと思う。また、八九年天安門事件で孤立した中国に日本がいち早く援助したのも、理のあることであった。
著者は九三年から九六年まで、台湾に赴任する。台湾が親日的なのは、植民地時代に比較的残虐的ではなかったのみならず(勿論あった)、「ステータスとしての植民地」に猛烈な投資を行ったこと(八田與一が象徴的)、いや何よりもWW2後大陸からやってきた敗残党が余りにも残虐であったからだ。「犬(日本)が去って豚(国民党)が来た」。そんな国に、「大陸との統一は中国人の正義」とのたまう日本の一部左翼は何様なんだろう? それはともかく。大陸中国人はこの所が分かっていない、と言う。教えていないだろうからなあ。歴史認識は色々と難しい。著者も言うように、おとしどころは歴史がこれから進んで、国家の重みが今の県レベルになる日まで、膠着させておくことかと思う。面子で引っ込みがつかなくなる事態を避け、ステータスクオで行くしかなるまい。(続)

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