「読書メモ:『革命的な、あまりに革命的な』その1」
読書
『革命的な、あまりに革命的な』(スガ秀美著、作品社)
同時代を体験していないものにとっては、かなり辛い本というのが正直な所。しかし、1968年という今でも継続している世界革命(by ウォーラーステイン)の意味、特にその始原を知るためには大いに益となる書物だと思う。良くは分からないが。
多分、この本を読むには時代の雰囲気を知っている人でないと辛いところが一杯ある。だから良く分からない。読書メモを書くにあたって、ある程度分かったなあ、と思った段階で書くのだが、正直な所、最後の12、13章以外は何を書けるか像が浮かばなかった。
そういうわけで、気になった単語とか文章とか思ったことを適当に殴り書きしておく。
・「擬制の終焉」ではなく、いかなる意味でも「真の前衛党」なるものが不可能であることを現実的に実証してしまったのが、スターリン批判。
・というのは、歴史の鉄の必然があれば、新左翼的文脈ならばスターリンという脱線がありえるはずもなく、また、教条的共産主義からすればスターリンこそが歴史の鉄の必然を証明していたはずだからである。主体、あるいは自由の問題とつながる。
・価値実体論、価値形態論
・未来が「ここ」に現出するのが革命であり、その幻想なしで革命家たりえるだろうか?「永遠の未来か、今ここか」という問いは『国家と革命』のテキストを読む今、小生には無効な問いだ。
・運動の享楽化は今、素人の乱の一団で市民権(?)を得ていよう。まあ、邪魔しないこった。この時代、革命は散種されるものなんだろう。大いなる物語もカタストロフも黙示録的革命も、アツく語ることは「死者が生者を捉える」類のものだろう。
・そういう次第で、一九三〇年代問題。よく分からん。
・空虚の「実体化(フェティシズム)」という位相において、何をもってくるかで三島になるか、ニューレフトになるかが決定したんだと思う。そういう「物語」を認めない(意図的であれ、無意識であれ)のが日本共産党などの旧左翼かと。(チャンネル桜の方々はこの辺ご理解されていたような気がする。対米従属的なところに何だかなぁ感があったけど、結構、好意をもった>チャンネル桜の方々) ロマン主義なんだな、多分。
・それにつけても「転向」なる言葉で駆り立てられる トラウマ、あるいはスティグマから自由になれなければ、日本左翼(右翼もか)に未来は来ないだろうな。
・イロニーとしての故郷か。僕に人生を教えてくれた〜ぁ〜<<おいおい。死んでください、おっかさんなら寺山修司。キーワードは「保田與重郎」
・で、ウヨ的には「文化概念としての天皇」あるいは『文化防衛論』(三島由紀夫)。
・「あれは面白かったな。三島と大江がお互いにお前こそファシストだとほめあっているんだよ。安部公房がおろおろしてね」
・
(第三章まで)

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