TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:tamo2
革命というものは、実在というよりも観念の世界に線を引き、その基準によって人の命を奪ったりすることがある。だが、それは、仰山者としては、それをよしとしない。

を、女王の教室、やっぱり「逆説」だったw。まあ、そうだろうな。
投稿者:tamo2
 十八世紀の哲学は、これらの方法を、より一層恐るべきものとすることとなった。それは、実際、自然法への復帰を方式化することを主張した。人類は、それまでは、彼らを欺瞞することに利益をもっている少数の人々の過失によって腐敗させられてきた。しかし、人々は、ついに原始的善・真理・および正義の諸法則に復帰する手段を発見した。かくも立派な、かくも実行し易い、そしてかくも成功の確実な改革に対するいかなる反対も、人々の想像し得る最も不らちな行為であった。革新者たちは、悪い市民たちが人類の更生を阻止する目的を以て及ぼし得る忌むべき影響を破壊するために、厳格な態度をとるように決心していた。寛大は、責めるべき惰弱であった、何となれば、それこそは、理解し難い頑固さを示し、明白な事物を認めることを拒否し、そして虚言のみに生きる、救い難い人々の気紛れのために、多数の人々の幸福を犠牲にすることに帰着するものであったからである。
 宗教裁判所から王権の政治裁判へ、後者から革命裁判所へと、そこには、法規の万能と、権力の拡張と権威の拡大という方向において、不断に進歩があった。教会は、極めて長い間、その異端審問官がとっていた例外手続の価値について、疑念を抱いていた。王権は、殊にそれがその爛熟期に達した時には、もはやそれほどの憂慮を抱いていなかった。しかるに、フランス革命は、その迷信的な国家崇拝の非を白日の下にさらけだしたのであった。
投稿者:tamo2
『暴力論』(ソレル;岩波書店)に気になった文章があるので、メモ。
革命時の国家〜大衆の暴力性に関して。ソ連の「人民裁判」を想起せよ。上巻、p170より

 王の敵に対する裁判は、つねに特別手続によって行なわれた。人々は、できる限り手続を簡略にした。人々は、普通の軽罪にも十分であり得ない些々なる証拠を以て満足した。人々は、恐るべき、そして深刻に威嚇的な見せしめにするように努力した。すべてこれらのことは、ロベスピエールの立法のうちに再現されている。草月二十二日法は、〔フランス革命〕のいかなる敵をも見逃さないように、かなり漠然とした政治犯の定義を以て満足している。証拠についていえば、それはアンシァン・レジームおよび宗教裁判所の最も純粋な伝統にふさわしいものである。「人民の敵を有罪に処するのに必要な証拠は、その物質的であると、精神的であると、口頭であると、成文であるとを問わず、正しくかつ理性的ないかなる精神の賛成をも自然に獲得できる、いかなる種類の資料でもよい。判決の準則は、祖国愛で開明された陪審員の良心である。その目的は、共和制の勝利とその敵との破滅である。」われわれは、この有名なテロリスト法のなかに、国家学説の最も強い表現をもつ。(続)
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