TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:tamo2
いやあ、「正当な法の執行」も、あなたが挙げているものは どれもこれも 暴力 です。認識があなたとは違うんです(笑)。

ジョルジュ・ソレルをご参考下さい。
投稿者:東西南北
tamo2さんへ。

 こんちは。暴力論についてです。やはり、暴力=無法な強制力と権力=法的強制力ということは異質ですよ。それを暴力一色で塗りつぶすというのはそれこそ暴力ではないですか?例えば、殺人事件が発生したとする。警察は犯罪捜査をし、容疑者を逮捕する。この時点では推定無罪原則が法=人権ですから逮捕=暴力と言ってもよい。しかし、刑事裁判が終結し、現実に有罪が確定したとする。この時点で遡及して容疑者を逮捕した警察の強制力は暴力でしょうか?冤罪の問題もありますが、暴力ではなく正当な権力行為=法的強制力です。国家の強制力をすべて暴力で塗りつぶす認識では暴力には暴力を対置するという暴力主義に陥りませんか?これこそ極左冒険主義です。無法な力=暴力に対しては人権手続き=法的手続きを手段とする法的強制力、すなわち権力を対置する必要があるのではないですか?法の本質・普遍性は人権であって暴力を抑圧する法的強制力=権力は特殊・現象ですよ。だから法というものの本質・普遍性は一切の強制力が存在しない人間の自由の実現となるわけです。法的強制力=暴力を抑圧する国家権力は法の本質でも普遍性でもないので歴史的には法の強制力=国家権力は暴力が消滅するとともに消滅します。国家権力は暴力が存在するから存在するという弁証法的な存在なのですよ。ゆえに、暴力が消滅すれば国家権力も消滅します。そして、人間の自由、すなわち、法の本質である人権が完全に実現するわけです。法は暴力ではありません。
投稿者:サッツマー・ケルンパ・チョーシューイリイッチ
お返事いただきましてありがとうございました。

キケロでありましたか、おいどんが手をかえ品をかえググってもな〜んにもでてこなかったのですが、できる人がすれば結果がでるということでしょうか。ご紹介いただきましたリンクは発狂しそうなくらい難しいことが書かれていている。すっごいブログが世の中あるもんだ、我が拙きブログに恥じ入るばかりなり。お手数をおかけしました。かさねてありがとうございました。
投稿者:tamo2
キケロ。彼もまた「マルクス」。で、ローマの政治家だったようで。失礼。

http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/cat_50018284.html

「マルクス・トゥッリウス・キケロ」
投稿者:tamo2
ケルン・ポアさん、お久しぶりです。組織された暴力の話題についてはともかく、「神は球体」ですけど、ギリシャあたりの神学にあったような気がして、ググってみたら、キケロがヒットしました。

あと、古代仏教の教えでは、真理は「球体」として表現されていたと、師匠の坊主は申しておりました。

仏像というものは、元々は球で、それじゃあ分かり難いので、人間の姿に彫ったとのことです。
投稿者:サッツマー・ケルンパ・チョーシューイリイッチ
こんばんわ、糖酒の怒りのアピールに応え、「極左」の元白も怒りの鉄槌カンパをするぞ!迫撃砲ぐらいできたらいいのだが、貧乏暇無しにつき投石かゲバ旗くらいの威力しかないのがくやしいが。

プロ奴隷!なるほど”β凶”・・・ 権力のネット工作員??

ところで蜜蜂さま不在のご様子にて、例の「神は球体をしている」の答えが欲しいのですが、いかがなものでしょうか。

お邪魔いたしました。
投稿者:tamo2
同志諸君にはおなじみだが、小生は、東京出張の折、暇があれば靖国に参拝する極右なのである。誤解なきよう。
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