『ホークスの70年 惜別と再会の球譜』(永井良和著、SoftBank Creative)
この本の凄い所は、戦前の南海ホークスについてかなり詳しく書いているところだ。そしてそれは戦前の球史の掘り起こしになっている。戦前の南海には、戦後球史に残る活躍をした人材が何人もいる。彼らはなぜ、ホークスにいなかったか? 川崎徳次さんが謎めいたことを言っているが、どうもそれは野球賭博のことのようだ。それだけではなかろうが、南海は戦前既に人材の宝庫だった。しかし、弱かった。それは、一番の理由は徴兵であろう。戦前の選手が決して社会的評価が高かったわけではない職業野球に飛び込んだ理由は、死ぬ前に好きな野球を思いっきりしてから死のうとしたこと、それから、まとまった契約金で親孝行するというのが大きかったらしい。それから。南海伝説の最初の20勝投手、神田投手の話、ここまで凄まじかったんだなあ。練習できない体なのに、軽いアップでマウンドに行き、血を吐きながら投げきる。いくら戦前のボールとはいえ、防御率1.10は凄い。今でもホークスの記録らしい。また、川上哲治氏および吉原氏は南海にも誘われたそうだが、南海はリーグ加盟と引き換えに巨人に譲り渡したらしい。G−DNAは戦前から、、、かな?
戦後の南海は九州から人材を得た。九州探題と呼ばれた石川正二スカウト。八幡製鉄、門司鉄道管理局などの社会人強豪から。高校から。しかし、その地にプロ野球チームが出来る。それは糾合され、西鉄ライオンズに。九州の選手は西鉄に取られる。稲尾さんとか。終戦直後、巨人に対抗するチームは阪神と南海だったが、2リーグ分立後、しばらくして西鉄にその役割を譲る。走る南海は西鉄打倒のため、400フィート打線とエース(杉浦)の獲得。この辺、百度は聞いた話なので略。そして、没落、身売りの話も略。巨人の横紙破りのお話も略。一つメモしておきたいのは、大正力@CIAのスパイ は、ゆっくりと穏健に2リーグ分立にもって行きたかったらしい、ということ。読売本社の権力闘争なんかで、あの紆余曲折があったということで。毎日が阪神の選手をぶっこ抜いた形になり、パリーグはずるいマイナーリーグというイメージが。歴史は勝者によって書かれる。
で、もう一つ、この本の凄いところは、応援について詳しく書いていること。さすがに永井さんだ。栖原さん、高山さんらの応援会は、内野の年間予約席がデフォ。選手との交流は年に1度だけ。何て奥ゆかしい。土佐武も取り上げられている。
王監督就任についてのファンの違和感も正直に書かれている。だが、「世界の王」さんは、一生懸命パリーグに、チームに溶け込もうとし、福岡に受け入れられたと思う。その前段、あの生卵事件、ホークスがドンドン南海色をなくしていく、まだまだ投手起用が偏っていた王さん、あの場にいたら、小生も投げていたかも知れない。「野球難民」は、つらいのだ。
本書の最初に、
当時の球団の歩みと、いまのチームのそれとを、連続した歴史としてとらえることは適切なのだろうか。(p2)とある。当然の提起だ。だが、球団もまた、歴史と同じく幻想形態である。そして、獲得された幻想形態が古くて重いほど、貴重な資源となる幻想形態である。適切・不適切に関わらず、コンテンツとしてのプロ野球を大事に思うならば、ホークスの看板を何時までも大事にして欲しい。大阪から福岡に移った歴史を有するにしても、である。
捨てることができずにいた南海の緑の帽子をかぶったファン。それも若くない人たちが、甲子園のスタンドで笑っていた。お互いに声をかけ、元気だったかと言葉を交わす。また会えてよかったですね、と。(p267)

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