
ガンジス川のほとり。一種独特な場所です。死者を24時間燃やし続けるガートの隣で結婚式をあげている。牛の死体や人間の足が流れてくる川で、妊婦が洗濯し子供が水浴びしおじぃちゃんが川の水を飲んでる。コレラ菌も3時間で死滅するという脅威の濁河。ある意味、汚れすぎて殺菌作用があるのか・・・。この水で疫病にならない現地人の免疫力に脱帽。人間の器能もいろんな環境に順応するってことか。
さて、ここバナラシの12月1日は愛の祭。この日に駆け落ちするカップルが多いんだって。階級の違いで結婚できないカップル。いまだに残るカースト制度。宗教問題は難しい。ただ、その宗教と切っても切れない関係なのが打楽器なんだなぁ。宗教の問題は単純にはコメントできひんが、何かを訴える感情的な打楽器音というものは、どうしてこう鼓動に直に響いてくるんやろか。今夜も街中から生リズム音楽があふれ出してる。ふと通りかかった寺院では音楽がトリップ域に入り始めていて、吸い込まれるように足を踏み入れた祭壇の前でひとつだけぽつんと置かれていたドラムの前にすっと腰を下ろしていつの間にか・・・ →
映像
叩き終わってから思ったけど、この楽器、何ていうんやろか、初めて見た。パカワジ? 叩き方もよぉーわからん・・・(笑)。叩いてるときはね、あるのは螺旋状に昇っていく感じだけで、宗教とか言葉とか理屈じゃなくて、心臓が理屈を言う前に鼓動を打つように、絡み合って昇っていくリズム音は理屈ナシにどこかを揺さぶるねぇ
バナラシにいる間、四六時中街中からいろんな色の打撃音があふれでてた。結婚式では10名くらいの楽隊が街中に響き渡るような打撃音で5拍子から8拍子へと絶妙なタイミングで移っていく曲を新郎新婦の家の前で5時間くらいずぅっと紡ぎ続けてた。死者をガンジスへ運ぶ行列には3,4人がドラムをかき鳴らしながら死者とともにガートまで歩んでいく。音が、溢れてる。

余談だけど、うちが感慨深かったことは
目の前で丸焼きにされる死者の足が崩れ落ちるのを目の当たりにしてもあまり衝撃は受けなかった自分が、文字の書けない読めない子供達の、今食べるものだけを求めている生き方に、彼らの可能性をいかせる機会の狭窄さを感じての自分の中に浮かんできた感情。
自分で選んだ未来と、見えない未来と。
まぁ難しいことはいうつもりはないけど、勝手に芽生える感情に自分で自分がわかってない感を実感する。
世界は広いんだか狭いんだか、 やっぱ、広いんだか。
NY→HIROSIMA→TOKYO→Kuala Lumpur→Dehli→Vanarasi→・・・

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